日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2015年1月18日

世を見つめると...(創世記3:15-20)
 神様の目で世の中を見ると、救われた私の人生が最高の価値があるとわかるようになり、使命を持つようになります。使命を持って、この世がどんなところなのか見るようにしましょう。
 この世は神様を離れてしまい、どうしても抜け出せない苦しみの中を生きている所です。もともとの人間は、神様が創造して祝福されたこの世とともに、神様の栄光を現す存在でした。しかし、悪魔にだまされて、罪を犯した結果、この世は苦しみの所に変わってしまったのです。
今日の聖書箇所には、その始まりが書いてあります。神様を離れたとき、ひとりひとり個人が滅びるようになりました。不安を抱え、恐れとあせりを覚え、精神的な苦しみを味わうようになったのです。その苦しみがどこから始まったのか、原因も分かりません。まことの創造の神様から離れた結果、その神様を避けて、神様と反対の方向に行くようになりました。いまも世界中のすべての人は、神様を避けようとします。そして、神様がアダムに「なぜ、そのようになったのか」と問われたときに、本当のことを言わず、他のことを言ったように、肉のことしかわからなくなって、いろいろな文句、口実、責任転嫁もして、本当のことはわからない無知に捕らわれるようになりました。
 その次に個人がほろびたあと、子を産む苦しみ、夫に支配される苦しみなど、いちばん身近な人間関係が壊れるようになります。人との間、夫婦、親子、家庭、会社、国同士もすべての間に、緊張があるようになります。そして、土地がのろわれ苦しみ、汗を流して糧を得ると言われたように、仕事とは関係なく、生きていくことが苦労になったのです。神様の栄光を現す人生から、食べて生きることが苦しく、疲れて重荷を負うようになりました。人生のすべてが苦になりました。それは、神様を離れたからなのです。その上、神様の栄光を現すための自然が、人間と敵対するようになり、自然災害にぶつかるようになりました。最後は、ちりだからちりに返ると言われたように、肉体的に死ぬようになり、死をおそれるようになりました。このように神様を離れたゆえの結果の本質を抱えているのに、それを包装紙でくるんでいるだけなのです。
 つまり、この世は暗やみの所なのです。創世記1章に、最初、天から追い出されたサタンが地球をとらえていて、暗やみ、混とん、むなしさに覆われていたのですが、その力が罪を犯した個人の中に入ってとらえるようになった結果、そのようになったのです。いまもその暗やみの苦しみは続いていて、その問題の解決は不可能です。根本が、いのちの根源である神様から離れて、いのちが絶たれ、たましいが死んで、悪魔のしわざにとらえられ、支配されていて、その根本は変わらずずっと続きます。なにかが変われば、どうにかなるというのは、根本が分からないから言う無知に過ぎません。なにが変わってもうわべの変化にすぎません。イエス様の福音が宣べ伝えられ、世の終わりが来るまで、この問題はずっと続くのです。
 ですから、この世は創造主の神様の救いが唯一の希望となり、絶対に必要な所なのです。これがこの世を見る目です。神様はその救いを実行されました。救いの道として創世記3:15で、女の子孫であるキリストによって、悪魔の頭を踏み砕いて救い出すと約束してくださいました。罪のないキリストが、身代りになって、犠牲のいけにえとして、かかとにかみつかれ、かわりに血を流すことで、暗やみの苦しみの中から、私たちを救い出すことにしてくださったのです。世の中の救いは、キリスト・イエスしかありません。暗やみにとらわれた根底から、すべて解決するキリストしかないのです。そして、十字架で死に、三日目によみがえってくださったイエス様がそのキリストです。
 この世の希望は、個人の回復からはじまります。イエス様がすべて完了してくださったので、私たちが助かる唯一の方法は、イエス・キリストを信じて受け入れることで、それで、個人が回復するようになります。このようにひとりひとりが回復して、世が変わっていくのが、希望です。
 私たちのこの世を見る目を固定しましょう。この世は福音でなければ、絶対に希望はないと、釘を刺しましょう。過去、弱さ、状況、ニュースなどを、固定した「福音でなければ希望はない」というところに掛けるようにしましょう。そして、自分のことを暗やみのこの世と結び付けて考えて、自分のアイデンティティを発見しましょう。イエス・キリストを信じた私は、唯一の希望キリストの福音を伝えるためにいると、伝道者であること、使命を発見して、固定しましょう。私を通して、この世は助かると、自分を発見して、釘を刺して動かないものにしましょう。そのように釘を刺したら、負担を持たず、ひとつのことだけをしましょう。すべて神様がなさるので、神様だけを見上げればよいのです。そのために、日曜の礼拝を大事にしましょう。そして、メッセージを考えようとしましょう。少しだけみことばに興味を示そうとするなら、暗やみが砕かれ、光が照らされて、暗やみから人が救われるようになります。そして、神の国とその義とを求めていたら、すべてが加えて与えられることを体験して、あかしすることができるようになります。
 この世が暗やみで苦しんでいるので、イエス・キリストの福音でないと希望はないこと、その中の私を見て、みことばが釘となって刺さるようになることをお祈りします。