日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

2015年2月15日

ハベルの世(創世記12:1-3)
 だれでもイエスをキリストと信じて受け入れると、すべての問題が解決され、神の子どもとされます。信じたとたんに伝道者として新しく造り変えられ、残りの生涯、勝利のための条件はすべて整えられていて、生きている間、他の人を助けて生きていくようになっています。その祝福を自分のものにするには、ただひとつだけ、神様と通じさえすればよいのです。それゆえ、神様と通じ合うこと1つに集中して、こだわるようにしましょう。そうでなければ、よけいなことに気がとらわれて、勝利の条件がすべてそろっているのに、実際には勝利ができません。
 神様と通じるために、一番最初のテーマは、神様の目でこの世を見ることです。神様は、この世をどのように見ておられるかを知り、それと自分の目がちがうなら、変えましょう。そのときから、勝利の証拠が現れるようになります。今日の聖書箇所には、バベルの塔事件が書かれています。人間が発展して、塔を建てるようになりました。天に届くようにということは、神様がいらないということです。神様は放っておくと滅びるので、ことばを混乱させて、人々が全地に散らばるようにさせ、塔を崩してしまわれました。ここからわかるように、この世は止まらず発展し続けています。石をれんがに、粘土を瀝青にして、発展し続け、止まることはありません。発展して進歩し続けます。医学、科学、社会福祉、教育など、すべての面において、発展し進化し続け、そのスピードはより速くなっています。終わりの時代には、そうなると聖書で預言されているとおりです。特に先進国の発展、進歩は、ほんとうに輝かしいものがあると言えます。そのように発展、進歩し続けて、いずれは、世の中が良くなると人々は思うようになりました。世の暮らしが良くなると、幸せになると、発展や進歩は希望であるという信仰を持っているのです。しかし、バベルの塔が崩れたように、発展、進歩は世の希望ではありません。
 この世を見るとき、発展と進歩をし続ける姿を見るのと同時に、この世が止まらず崩れ続けているのを見なければなりません。発展と進歩では、霊的なむなしさは止めることはできないのです。心の空いているところは埋められず、個人はどんどん死んでいきます。その穴を埋めようと、ドラッグ、お酒、趣味、カルト宗教などにはまるようになります。それでも、個人の飢え渇きは、満たされることはできず、家庭崩壊が起きます。どんなに発展して進歩しても、家庭は崩壊していくのです。そして、心のうめき、飢え渇きは、社会の犯罪につながります。世界のレベルで、戦争、飢饉、伝染病などが起き、悲惨で悲しいことが終わることなく続きます。そのような状況がグローバル化していくのです。これを見ないでいると、世の中でがんばって意味のない生活をするようになってしまいます。世を冷静に見て、分析して、「発展、進歩はこの世の希望にはなれない」という答えを出しましょう。
 根本的に人間はたましいが死んでいて、霊的問題があるのですが、その霊的な問題には、発展、進歩はまったく手を触れることができないのです。神様から離れ、悪魔に捕らわれて、文化、社会、個人が操られていることには、何もできません。創世記3章霊的問題と、発展、進歩は大きな隔たりがあるのです。それゆえ、どんなに発展、進歩があっても、混乱するばかりで、より努力して、がんばればよいのかと、自分を欺いて走るしかないのです。そのように思い込んで、人間で十分なので、神様はいらないと言うまでなります。神様がいらないとなれば、悪霊、サタンに捕らわれるので、問題なく終わるはずはありません。まことの希望は、根本問題が解決することであり、神様に会う道であるまことの預言者、悪魔の頭を踏みくだくまことの王、身代りとなって血を流すまことの祭司であるキリスト以外には希望がないということに結論を出しましょう。世の中で崩れ落ちることを見るたびに、発展は希望ではなく、世の希望はキリストだけだと確認する神様のサインにしましょう。キリストしか希望がないから、「だから、あなたがそこにいて、教会があるのだ」と神様は言っておられます。心にメッセージとして、刻み付けましょう。
 発展、進歩にだまされないで、世の希望はキリストだけであり、キリストが伝えられることが希望であるという神様のメッセージを聞きましょう。そのとおりだと思うとき、神様と通じるようになります。世の発展に貢献するための勉強、仕事ではなく、唯一の希望であるキリストを伝えるための勉強、仕事、健康、生きる理由だとしましょう。まず神の国と義を求める、神様と通じる人になり、心から生きる理由は、世の人とちがうものになるようにということが祈りとなり、答えられるようになることをお祈りします。