日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
http://jremnant.net/


メッセージ要約版

2015年3月8日

あらかじめ定められた人(ローマ8:28-30)
  イエス様が自分のために尊い血を流してくださった意味を理解して、自分は大事な者だという確信を持ち、喜ぶことができる人には、神様は門を開けてくださいます。その確信が持てない人は、祝福された神の子どものクリスチャンであるのに、いらないことで葛藤したり争ったりして、サタンのおもちゃになって、地上にいる間、悲惨な姿で人生を終わってしまう悲しいことになります。イエス様が自分のために血を流されたのは、あらかじめ定められたことであると確信して、神様が備えてくださったすばらしい祝福の世界を味わいましょう。
 今日の聖書箇所を見ると、神様があらかじめ定められたのは、召されるためです。召されるとは、神様から離れた滅びの状態から救われることです。その人を義と認め、なんの問題もない最高の者にしてくださいました。人の評価とは、まったく関係なく、神様が「良し」としてくださるのです。そして、その人に栄光を与えられました。すでに栄光を与えたと過去形で書いてくださっているように、すでにもらっているのです。イエス様と似た姿にするために、自分のために血を流されたと信じたなら、3つのことを確信しましょう。
 まず、自分はすべての鎖から解放されている者だと確信しましょう。すべての人は、御怒りを受けるべき子として生まれ(エペソ2:3)、滅びるしかない運命の中にいました。罪からくる報酬は死である(ローマ6:23)と言われたように、神様との関係が絶たれた、真っ暗な中で、良いことはいっさいない存在でした。そして、死後はさばかれることが定まっている(ヘブル9:27)運命の中で、自分の力では絶対に出られなかったのです。そこから、完全に解放されました。人は罪を犯かすことなく生きることはできません。不信仰、人に対する罪、内面の罪、過去の失敗の罪、すべて一切の罪から解放されてしまいました。死と罪の原理から解放された(ローマ8:1,2)と、根本から変えられたと言われています。もう、滅びの中のルールに捕らわれる必要はまったくないのです。悪魔の子ども(ヨハネ8:44)と言われているように、悪魔の奴隷となり、絶対にそこから出ることはできず、悪魔のしわざによって、偶像崇拝をするしかなく、逃げられませんでした。そこから完璧に解放され、悪魔を打ち破ることができる存在になったのです。地獄の未来から永遠に解放されて、天国に入ることができます。解放されているので、心配しないようにと言われました(ヨハネ14:1)。キリストが大きな岩になってくださるので、絶対に滅びず、不幸、運命、災いがおそいかかることはありません。その神様の愛から切り離すことはできません(ローマ8:37)。なにも引っかかることも、恐れることもいらないのです。
 2つ目の確信すべきことは、自分は義と認められ、栄光を与えられた最高に尊い祝福の存在だということです。自分の値段は、キリストのいのちなのです。キリストが血(いのち)を代価として払われ、買い取られた尊い者だと知りましょう。そして、神様が宿られる神の神殿(Iコリント3:16)であり、神の子(ヨハネ1:12)として、神様を「アバ父」と呼ぶことができます(ローマ8:15)。イエス様が友と言ってくださり(ヨハネ15:15)、イエスを長子とされたと書いてあるとおり、イエス様と同じ家族なのです。「父がイエスに、イエスが父に」と言われた三位一体の神様が「わたしがあなたがたに、あなたがたがわたしに」と言ってくださり(ヨハネ17:21)、ランクを神様のレベルに引き上げてくださったのです。御使いが仕えてくれる(ヘブル1:14)存在です。サタンもその事実を知っています。悪霊やサタンからは、イエス様ご自身に見える存在なのです。地の果てまで証人となる、存在そのものが、世界福音化、伝道になる存在です。世の光、塩と言われ(マタイ5:13-14)、光、王である祭司と、イエス様にのみ使えることばを信じた人に言われます(Iペテロ2:9)。外見やうわべの弱さで価値を考える必要はなく、先に霊的な意味で自分を見て、神様が造り変えてくださったことを認めましょう。
 3つ目は、まことの答えを受ける祝福の者であることを確信しましょう。自分がどんな存在なのかが分かると、暗やみに捕えられて、滅びの運命の中にいるかわいそうなたましいに、神の国が臨むことが必要とわかり、神の国がテーマになります。行く所ごとに、神の国が臨むようになり、暗やみが砕かれるようになる存在になっているのです。いま置かれている家庭や職場の現場がエルサレムで、そこから地の果てまで、イエス・キリストをあかしすることによって、神の国が臨むようになる答えをうける存在になっています。伝道の門が開かれ、伝道運動が起きるようになり、ローマ16章の人々のように、いのちもすべて福音のためにささげる本当の弟子として生きるようになります。ひとりいれば、国が生かされる、そのようになる資格を与えられているのです。キリストが召して、栄光を与えられ、イエス様と同じことをしていく存在に変えてしまわれたのです。ですから、まことの答えを受ける存在になったと、聖なる夢を持ち、描き続けましょう。
 うわべ、外見より霊的な自分を優先して考える習慣を身につけましょう。どんなに人間的に弱さがあっても、聖なる夢、つまり使命から目を離さないようにしましょう。あらかじめ定められた自分のことを喜び、豊かになり、聖なる夢を発見するように祈ります。