日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
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メッセージ要約版

2015年4月19日

キリストを誇れ(Iコリント1:26-31)
 人はなにを誇って生きていくかによって、その人の人生の色が変わります。神様から愛され、人にも認められる、かっこいい、すてきな人生になるには、キリストを誇る、正しい誇りとプライドを持つ必要があります。今日の聖書箇所は、世的に優れることを求める文化があったコリントの町のクリスチャンに、パウロが世の誇りの基準を破壊するために書いた内容です。基準をイエス・キリストによって変えてしまうことが、どんなことにも振り回されない、すてきな、かっこいい人として生きて行くスタートになります。
 世界には、誇りに思えること、必要なことはたくさんありますが、そのようなものでは、人生の根本の部分を変えることはできません。人は、神様によって、神様とともにいる霊的な存在(神のかたち)として造られました。しかし、人間が罪を犯して、神のかたちが壊れて、祝福をすべて失い、サタンに支配されるようになってしまいました。このように、どうしようもない原罪があり、神様の御怒りを受けるべき子として生まれるしかなく、運命に縛られ、不幸の中を生きていくしかありません。この世にあるものでは、この中から、一歩も出ることではできないのです。富、家系、性格、才能があったとしても、原罪の問題を解決することは絶対にできないので、誇ることはできず、これらがないとしても、原罪の問題とは関係ないから落ち込む必要もないのです。この世にあるものを誇っているなら、それは、創世記3章の問題、原罪を知らない、無知ゆえにそうなっているのだと知りましょう。神様は人々に、創世記3章の原罪を知る者になりなさいと、呼びかけておられます。それが分かるなら、誇ること、落ち込むこと、まったくなくなります。
 本当に、創世記3章の問題、原罪をしっかりと知っているなら、世のもので自慢したり、落ち込んだりすることはなく、ただ「キリストだけを誇る」ようになります。これが、すてきな人、かっこいい人の条件です。その代表的な人物がパウロです。パウロの告白から見ると、キリスト・イエスの十字架以外はなにも気にしない(Iコリント2:2)と言い、自慢できる世の中で優れていると言われているものをたくさん持っていたのに、それらをちりあくただと片づけてしまいます(ピリピ3:8)。キリストの他には、悪魔のしわざを打ちこわすことができるものはなく(Iヨハネ3:8)、神様を離れて一生、霊的問題を解決できない人間が、神様に出会う道も、キリスト以外はなく(ヨハネ14:6)、すべてをもたらした原罪、それにともなう、あらゆる罪を身代りに受けて罰せられて、処理されたのもキリストだけです(ローマ5:8)。イエス様は人がいのちを得て、それを豊かに持つために来られました(ヨハネ10:10)。それができるのは、キリストだけです。ですから、キリストだけが誇りなのです。世の知識の豊かさ、人のやさしさ、伝統などが、創世記3章の霊的問題と原罪を知ることを邪魔するなら、それがのろいです。すべての人は罪を犯したので、世にあるものでは、どうしようもないのです。世にあるものを誇りたくなったら、それは、創世記3章と原罪を忘れているのだと、思い出すようにしましょう。
 そうして、キリストだけを誇ると決心して、実践しましょう。いままでの基準、世にある肉の誇りの基準から、すべて離れて、
高慢、挫折、言い訳、比較、すべて捨ててしまい、自由になりましょう。よけいな無駄な戦いは避け、そのようなものに捕らわれることなく、振り回されないで、キリストだけを誇ると、まっさきにキリストを優先しましょう。そして、キリストにある自分を見つめましょう。私は幸いな者で、神の神殿であり、私を通して現場の暗やみが砕かれると、正しい確信、自負を持つことが、キリストだけを誇ることです。そうすれば、よけいな戦いに巻き込まれないので、平安に満ちた人になり、神様に認められ、人からも好かれる、すてきな、かっこいい人になります。これらは、キリストによってもらったことですから、自分の才能、能力は関係ない、ただ神様の恵みです。まっさきにいつもキリストを優先しましょう。
 自分で自分に宣言しましょう。「私は幸い、キリストのゆえに」「私は最高の人、キリストのゆえに」「私のゆえに現場は変えられる、キリストのゆえに」この宣言を続け、キリストを誇っていると、自慢することで疲れている現場の人々、また、自慢することがないと落ち込んで疲れている現場の人々が見えてきます。そうすれば、祈りも変わるでしょう。すてきな、かっこいい人生を歩むようになることをお祈りします。