日曜メッセージ要約版

教会の講壇メッセージ動画は、レムナント教会のサイトに出ています
http://jremnant.net/


メッセージ要約版

2015年4月26日

泥の中で輝く真珠(Iペテロ2:9-11)
  今日の聖書箇所は、信仰のゆえに迫害を受けて、いろいろなところに散らされ、試練と苦しみの中にいる信徒を励ますためにペテロが書いた手紙です。とても厳しい状況の中にいるクリスチャンに、ペテロは最高の呼び方「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」と言います。ここから、私たちに向けられたメッセージはなんでしょうか。
 まず、ひとつめのメッセージは、クリスチャンは、基本、祝福の存在であるということです。どんなことがあっても、イエスをキリストと信じて受け入れた人は、なにがなんでも祝福の存在なのです。クリスチャンになると、出発は祝福であり、祝福以下になることはありません。不幸、ほろび、のろいの人生は終わり、困難、弱さ、関係なく、ずっと人生全体が祝福です。試練の泥の中でも、キリスト・イエスにあるいのちの祝福は輝きを失わない真珠のようなものなのです。勘違いして、だまされないようにしましょう。受け入れた瞬間、以前のものは死んで、新しい被造物として生まれ変わりました。不幸の中で苦労して生きる私は死んで、本質が根本から完全に新しく造り変えられたのです。いま見ると、そうでないかのように見えるかもしれません。それは、ただ試練の泥をかぶっているだけなのです。イエス様が血を流してくださった存在であり、弱さ、困難、問題があっても、不幸にならないように、聖霊が内住する新しい存在です。困難、試練の中で、聖霊が導かれ、聖霊の力とみわざをあらわしてくださいます。いつ死んでも天国に行くことが保証されていて、行く所ごとに神の国が臨みます。宇宙の中で、暗やみが唯一恐れる存在なのです。聖書66巻に、イエスを受け入れたことが、どれほど大きな祝福であるか、すべて書いてあります。あまりに大きいので豊かに味わうようにと、66巻に渡って書いてあるので、それを聖書のみことばから見るようにしましょう。どんな泥をかぶっていても、キリスト・イエスの祝福が失われることはなく、それが分かるなら、祝福はより輝くようになるのです。信じましょう。そして、祝福の内容に集中して興味を持つようにしましょう。その祝福の内容をまとめて言うと、この地上にいる間、伝道が成り立つ存在になったということです。イエスを信じて受け入れたとたん、そのような存在に変えられたので、伝道ができることがスタートで、それ以下はありません。
 ふたつめのメッセージは、この祝福はすでに与えられていて、いまも変わらず与えられていて、世々かぎりなくずっと続くものです。試練の泥をかぶっていても、そうなのです。色あせることがない、変わらない祝福です。どんなことがあっても、だまされないようにしましょう。問題、弱さ、霊的問題、過ち、悩みなど、泥になるとしても、キリスト・イエスの血によるいのちの祝福は色あせることはありません。どんな妨害があっても、すでに祝福されていて、いまも祝福されていて、世々かぎりなく祝福されるという証拠がヘブル11章にあり、それをまとめたのがローマ8:39です。神の愛から切り離すことはできないのです。試練があまりにきびしくて、揺れ始めた人々に向かって、神様は「ちがう、すでに変えられた幸いな者。変わりなく伝道者として、最高の人生だ」と言われています。キリストを信じているなら、どんなことにも負けない最高に尊い存在です。信仰は、がんばることではなく、神様が言われたことを認めて、心から喜ぶことです。どんなことがあっても、あなたは幸い、伝道者、神の所有とされた民だから、過去にとらわれず、過去の傷による病気があっても、イエス・キリストを受け入れたなら、祝福は色あせないので、キリスト・イエスの祝福を優先しなさいと言われます。パウロは四方八方から苦しめられても、いのちをかけていやしを求めた病気があっても、「土の器でかまわない。内に宝のキリストがおられる」と告白しました。
 3つめのメッセージは、それゆえ、負けずに、挑戦の人生をあきらめてはならないということです。クリスチャンの本来の挑戦の人生をあきらめてはなりません。内面に祝福の宣言が勝てるようにする挑戦を続けましょう。過去の思い出がでてきても、祝福の宣言が勝つように、自分に向かって挑戦しましょう。それで、人生の方向を、神様の栄光を現す伝道に、しっかりと釘を刺しましょう。伝道に人生の方向を固定させるのです。それから、現場を福音を持って征服する挑戦をしましょう。どんなことがあっても、挑戦し続けましょう。そのための唯一の方法である聖霊充満を求めて祈りましょう。あきらめずに祈っていると、かならず祝福の出会いの門が開かれます。かならず門が開かれるので、待ち望む挑戦をあきらめてはなりません。いろいろ邪魔する泥があっても、イエスの祝福は負けないと、あきらめずに挑戦し続けましょう。「泥にだまされるな」「試練に負けるな」「契約(伝道)を逃すな」「祈りをあきらめるな」と宣言して、礼拝に集中しましょう。日曜の礼拝に集中するだけで、成り立つようになります。講壇のメッセージに集中して、心で黙想して、礼拝の前には「どのような話をされるのか分かるようにさせてください」と祈って備えましょう。泥をかぶっても、輝きを失わない宝石、真珠があると握って、挑戦するようになることをお祈りします。