日曜メッセージ要約版

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メッセージ要約版

11月20日

罪を赦す権威をもっていることを(ルカ5:17-26)
 いま世の人は、イエス様が言われたとおり、疲れて重荷を負って人生を歩んでいます。なぜ自分が苦しみ、疲れ、重荷を負っているのかを知らないので、どんなに努力し研究して、工夫しても無駄になるしかなく、改善しないのは歴史で証明されています。聖書には、そのように疲れて重荷を負うのは深い「罪」という根ゆえであると語っています。罪が赦されないかぎり、問題は解決せず、まことの幸せはありません。今日の聖書箇所には、その罪を赦す権威がイエス様にあることを語っています。
 私たち人間は罪を赦されなければならず、他の方法では解決がありません。罪には大きく3つあります。根本的な原罪は、神のかたちに造られた人間が、いのちの根源である神様から離れてしまったことです。神様から離れたとたん、暗やみの主人であるサタンに支配されるようになったので、どのように生きるか関係なく、滅びるしかありません。その原罪があるので、人生を生きて行くうちに過ちやトラブルが起きますがそれを罪過と言います。そして、先祖代々、家系に偶像崇拝をして、神様に敵対してきた結果、三代、四代までその罪が報われる先祖の罪があります。このように罪は単純な話ではなく、その罪により、生まれながら御怒りを受けるべき子として生きて行くので(エペソ1:3)、苦しみは続くしかありません。また、意思や努力とは関係なく、空中の権威を持つ者と言われているサタンに従って生きているので、(エペソ1:2)悪魔のしわざが人生に現れるしかありません。どんなに善良に、幸せに生きようとしても、死後にはさばきが定まっていて(ヘブル9:27)、永遠の刑罰に行く、破滅、災い、崩壊の運命に捕えられているままです。罪の赦しがないと、世界中のどの人も、同じようにこの運命の中からは出られないのです。
このようにすべての人が罪の中を生きているのですが、その罪自体を認めようとしません。これが罪の本性ということです。神様の恵みによってのみ、自分が罪人であることを認めることができるのです。自分の犯した罪にこだわるのではなく、それにより自分が根っからの罪人と認め、罪が赦されないといけないと気づき、人生の最大のテーマは罪が赦されることに変えましょう。
しかし、罪を赦されるには、他には道はありません泣いても、がんばっても、がまんしても、すべての人が罪人なので(ローマ3:23)、人による解決はありえません。神様だけが罪を赦す権威があるのです。その神様が、キリストを通して人間の罪を赦す方法をくださいました。創世記3:15の女の子孫が蛇(悪魔)の頭を踏み砕き、罪の赦しのためにかかとにかみつかれ、血を流して身代わりとなって罰せられることによって罪が赦されるのです。その他には罪の赦しはありません。
そのキリストが来られました。イエスがキリストです。今日の聖書に出てくる中風の患者と4人の友だちは、多くの人がイエス様に単に病気を直してもらいに来ていた中で、イエスが本当にキリストだという信仰を持つようになったのでした。それで、屋根をはがしてイエスの前に寝床をおろしたときに、イエス様が「あなたの罪は赦された」と言われたのでした。イエスがキリストなら、罪が赦されるために人間がすることは、ただ御名を呼ぶだけです(ローマ10:13)。イエスをキリストだと信じて受け入れると、罪が赦されて神の子どもになり、死からいのちに移されます(ヨハネ1:12、5:24)。イエスがキリストなので、信じると義と認められ(ローマ3:23-25)、滅びることなく、永遠のいのちを持つようになります(ヨハネ3:16)。私たちが信じたイエスが、罪を赦す権威のある方であることを覚えましょう。
 イエスを信じたら、すべて赦されて解放され新しくしてくださいます。罪の赦しと救いの確信を持って、すべての罪の重荷を脱ぎ捨てましょう。そして、喜んで新しい人生を味わい、イエスの御名をあかしする人生を歩みましょう。新しい希望のある、すてきな人生を、まことの感謝とまことの賛美を持って歩むように祈ります。