世の中の人々や歴史のテーマとして、経済再生、世界平和、環境汚染を防ぐこと、人権保護などいろいろあり、ひとりひとりの人生にもテーマがあるでしょう。まことの創造主である神様を信じているクリスチャンにとってテーマはなんでしょうか。それは、世の中の人が知らない「神の国」です。
人間は神様に祝福されて生きる「神のかたち」として創造されました。神様の祝福によってまことの安らぎ、安息を味わい、その祝福によって世界を治め、征服して神様の栄光を見ていくことができる唯一の存在として創造されたのです。しかし、サタンにだまされて、神様を裏切り、約束を破る罪を犯してしまい、神様からの祝福、安らぎ、勝利をすべてなくしてしまったのです。そのときから、人は不幸な人生を歩むようになりました。精神の苦しみ、わけもわからない肉体の苦しみも味わうようになり、答えでもないものを答えだと思ってもがき、あちこちに幸せを求めてさまようのですが、どこにも幸せはありません。なにかにとらわれ、抜け出せない苦しみを味わう奴隷のように生きるしかなくなったのです。自分の力でどうにかしようとしても、神様の祝福を取り戻すことはできません。世の神と言われる悪魔に支配され、コントロールされているので、どんなにがんばってもだめなのですが、人はそれに気づくことなく、技術や知識、文化や文明が発展すれば良い世界になると思って走っています。そして、その結果はバベルの塔のように崩れるだけなのです。
ですから、離れてしまった神様に戻り、祝福を取り戻すことがテーマになるべきです。失った神様に出会い、祝福を取り戻し、まことの安らぎによってすべてを征服して支配すること、これが神の国に入ることで、これこそが、人生のテーマです。どんなに成功して、尊敬され、財産があっても神の国に入らないと幸せはありません。人類のテーマは神の国です。
しかし、だれも神の国に入ることはできません。今日の聖書箇所には、金持ちの役人が「どうすれば神の国に入れますか」と問いました。この質問自体がまちがっているのです。人間を主体として自分の努力や才能で神の国に入れると思うのは、宗教的な本能です。人がなにかをしたらというのは、ヒューマニズム、人間主義で、それでは神の国を見ることはできないのです。そこでイエス様は「わたしについてきなさい」という解答を提示されましたが、持っている地上の良いものが邪魔して、すばらしいもの、立派なものへの愛着で目が暗くなり、神様の御声が聞こえないのです。そのように、人間はだれも神の国には入ることはできません。
では、だれが入ることができるのでしょうか。イエス様は「子どものように受け入れる人」「人間にはできないが、神様ができる」と言われました。これは、子どものように自分の力では生きていけないと知り、神様の恵みとあわれみが必要ですという姿勢になった人が、神様の恵みを受けて目が開かれるようになり、イエス・キリストについて聞こえるようになるということです。イエスがキリストであり、神の国であり、救いの希望であると聞こえる人が神の国に入ることができます。義人は信仰によって生きると言われているように、イエスについて行くことが神の国に入ることです。イエスを信じると、新しいいのちが与えられ、神様ご自身が聖霊として内に入ってくださり、すべての祝福を取り戻すようになります。これが神の国に入ることです。
ですから、イエスを救い主として、心から信じて受け入れるようにしましょう。信じて受け入れたなら、神の国を失っていたときの古い暗やみの人生はもう終わりました。神の国に入った祝福の主人公です。その確信をしっかりと持つようにしましょう。自分の人生に根本的に安心を持ち、勝利の人生だと自信を持ちましょう。必ず勝利するので、自信を持って挑戦しましょう。地上のものに引っかからないように整理して、すべてを神の国の新しい祝福に集中するようにしましょう。時間をとって天からの祝福を黙想して集中するなら、使徒1:14の祈りの場に立つようになります。そして、世の中を見るとき、神の国を基準にしてすべてを見るようにしましょう。どんなことを見ても、神の国が臨むべきだという答えが出てくるようにしましょう。古いものに引きずられず、新しい神の国の人として、祈りに取り組むようにしましょう。

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